2010/04/08

マスメディアもインターネットも本質的に偏っているよ。大事なのは、その「偏り」を自分でデザインすることじゃない? #media #web

「マスメディア」と「インターネット」のどちらが偏っているかなんて議論は無意味だよね。どちらも偏ってる。重要なのは、その「偏り」をデザインす る主導権が、自分と他人のどちらにあるかってコトなんだよね。

インターネットで情報が氾濫(はんらん)し、新聞を巡る環境は激変しています。しかし、インターネットでは、自分が必要とする、興味を持つ 情報しかアクセスしないため、偏った情報になりがちです。一方で、新聞は新聞記者が情報の裏付けを取って確認し、見出しの大きさによって 記事の重要度を示すため、記事に対する責任の所在が明らかで、価値基準が一目りょう然の、しかも広範な情報に触れることのできるメディアといえます。

このインターネットと新聞の比較は、本を購入する時に似ています。購入する本が決まっている場合、インターネットで注文すれば時間や手間が 省けます。しかし、リアル(本物の)書店に行くことによって、思ってもみなかった本を見つけることができるのです。

生活するうえで、社会の情報を共有することがいかに大切であるかを知り、もっと新聞に親しんでもらいたいと願っています。【鳥取支局長・高 橋和宏】

» インターネットでは、自分が興味を持つ情報しかアクセスしないため、偏る 新聞最強!!:アルファルファモザイク

こんなこと言ってる人ははっきりいってバカだと思う。ネットは日々すごい勢いで成長していて、あんたたちがいう偏りみたいなもんはもうすぐなく なるよ。そういう危機感あるのかね? ないっぽいよね、だからこういうこと言っちゃう。たしかに今のネットメディアは基本的に検索したりして自分から 情報を求めていく。だから情報が偏る、というのはよくわかる。今は。

「新聞は偏りがないから読め」と かもうすぐ言えなくなるよ - ajickr blog

実際のところ、幾ら「本屋」に足しげく通ったところで、本屋に仕入されていない「本」に出会うことはないものね。新聞をとったところで, あるいはニュース番組を一生懸命追ったところで彼らが取り上げないニュースには出会えないし。

言い換えるなら、今までは「本屋」であったり「マスメディア」であったりが、情報を「偏り」を作っていたとも言える。様々な限界(特に発信者/受信 者双方の「時間」の制約)から今後もそれは変わらないし、変えようがない。そして多分、これから10年後に生き残るのは、意識的に「偏り」を強化していっ たメディアが大半を占めるだろうとボクは見ている。

ではインターネットではどうか? って考えると、やっぱり「偏り」は避けられないよね。

ソーシャルメディアが発達することで「人間=ランダマイザ」が思いがけない「出会い」を誘発することも増える(実際、ボクはそれを現在進行形で体験 している)けれど、同様に「フィルタリング」の実装が洗練されていくことで相殺することができてしまう。

ただし、その「偏り」は自分のコントロール下にある。無自覚にあれば、おそらく「偏り」はどこまでも強くなっていくだろう。でも、自覚的に「偏り」 をデザインしていけば、むしろ「完全なランダム」の状態よりもはるかに有用だ。

視点をそういう風に変えてしまえば「マスメディア vs インターネット」なんて図式は、必然的に意味がなくなる。

「どちらも偏っている。大事なのはその偏りを自分でデザインすること」って前提に立てば、どちらの情報も等価なんだもの。自分のデザインにあったメ ディアを、ぴったりの位置に置いてやればいいんだよね。

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