観光とは土地の光が綾なす「かげ」を観ること
易経に曰く
観国之光、利用賓于王
国の光を観る。もって王に賓たるに利し。
(出典: 易経 観卦)
ここで言う「国の光」とは、ぴかぴか・きらきらしたものという物理的な光ではなく、その土地の文物・地理風土・産業などの優れたものを指すそうである。
日本語の「観光」は、この易経の記述を典拠に、観光とは、単に土地の名物や景色を消費する行為ではなく、その土地の優れたものを観る知的営みであると説明されるらしい。
光が差せば「かげ」を綾なす
光といえば「かげ」である。
明るいもの・優れたものの対義、光のささない空間を指す「影」ではない。
「景」である。
字形に「日」を含む通り、こちらは光によって現れる「もの」や「かたち」を意味する。光の濃淡が綾なす輪郭、景色の「かげ」である。
自らが光を放つものだけでなく、その照りによって綾なす「かげ」までを含めて「国の光」ではないか。
知的営みとしては、その奥行の味わいこそが「おいしい」という気がする。
となれば、物珍しさを求めなくてもよい
「かげ」に目を向けるとすれば、見知らぬ・物珍しい光を求めて旅をしなくとも観光はできるのではないか。
通勤の道行き、行きつけの食事処、窓枠越しに切り取った町並み、いつもの食卓。朝日が差し込み、昼日が満たし、夕日が染め、星明かりが注ぐ。曇天や薄霧にぼやけた柔らかい灯りも良い。光が照らせば、濃淡が綾をなす。
綾なす「かげ」に、果たしてどれほど眼差しを向けてきたか。
憧れた町並みを歩くのも、海や山に出かけるのも、旧跡を訪うのも心躍るものである。いわんや、その土地の名物料理を味わう悦びをや。
しかし日々の暮らしの「かげ」を、じっくりと眺めるのもまた、これはこれで観光と言えるのではなかろうか。まぁ、少なくとも知的営みとは言えると思う。