妖怪はエンターテイメントである

2026/06/19

考察 無駄話 与太話

t f B! P L

妖怪はエンターテイメントである

1. ナイジェリアからの問いかけ

日本の友人へ、 ナイジェリア人として、ずっと不思議に思っていることがある。
日本は「妖怪」「神道」「着物」を——アニメ、ゲーム、映画に変えた。
でも、その「魂」は消えていない。
ナイジェリアでは今、アフロビーツとノリウッドが世界を席巻している。 でも故郷では、ヨルバ・イボ・ハウサの伝統が静かに薄れていく。
だから聞きたい——
① 日本はどうやって「神聖なもの」を「エンタメ」に変えながら、その意味を守ったのか?
② それとも——実は守れていないと思う?「鬼滅の刃」の鬼は本当の鬼道を伝えているか?
③ 文化の「商品化」は保存か、それとも破壊か?
ナイジェリアが学べることがあるなら、何だと思う? アフリカから、真剣に聞いています。

(出典:𝗞𝗮𝘀𝗮𝗕𝗲𝘁𝘄𝗲𝗲𝗻𝗪𝗼𝗿𝗹𝗱𝘀さんのX(旧twitter)のポスト

ちょっと馴染みのない言葉が入っていたので、補足する。

  • アフロビーツは、2000年代以降のナイジェリアやガーナなどを中心に発展した、現代西アフリカ発のポップ音楽の総称
  • ノリウッドは、ナイジェリアの映画産業を指す呼称で、Nigeria と Hollywood を掛け合わせた言葉として使われている
  • ヨルバイボハウサは、それぞれナイジェリアに居住するアフリカ民族グループ。

日本での「妖怪」「神道」「着物」といった文化資産はエンターテイメントのコンテンツに取り込まれ、世界に発信されながら、しかし、その伝統は今も生きているように見える。一方で、ナイジェリアの文化は世界に発信され、受け入れられているけれど、その文化を育んできた諸民族の伝統は、静かに薄れていっている。

どうも、そういうことらしい。

その上で、文化を「商品」とすることの是非と、文化を守るために何か学びになることが日本にあるのか? という問いかけ。

この問いを受けて、ボクは3つの問いが頭に浮かんだ。

  1. 日本は「妖怪」「神道」「着物」を創作の材料にしつつ、でも、その「魂」は消えていないというのはどういうことなのか?
  2. ナイジェリアでは、ヨルバ・イボ・ハウサの伝統が静かに薄れていくというのは、どういうことなのか?
  3. たとえばウィッカ的なアプローチでの復興はどうか?

ただ2つ目の問いに答えるのはボクの手にあまる。3つ目の問いは、いつもの与太話のタネとして別記事にしたい。

1つ目の問いも、本当のところ丸っと答えるのは手に余る。たぶん、民俗学分野で学術的に扱えるだけの重みと厚みがあるテーマだ。
けど「妖怪」に関しては、茶飲み話程度の何かはできそうな気がする。

「妖怪」、ダイスキなので。

2. わりと初期から妖怪はエンターテイメントだった

で、妖怪のこと。ボクが思うに、彼らは割と初期からエンターテイメントの顔をしている。

妖怪に限らず、おおむね共同体の中での伝承文化は幾つかの側面を持つ。

  • この世界で起こる様々なものごとの成り立ちの観察を、その共同体の語彙で説明する
  • 共同体の倫理やルールを物語の形で教え、伝え、共有する
  • 穏やかな暮らしの中の、ささやかなお楽しみ

だいたいボクが思いつくのはこの3つくらい。で、これら3つは不可分に混じり合っているような気がする。

たとえば、夜に笛を吹くと蛇が来る、みたいな話がある。

この話に関して「なぜ蛇が来るのか」という語りを実は聞いたことがないが、たぶん、昔はそれぞれの家庭で、それぞれの由来が語られただろう。
ちょっと調べてみたら「口笛は神霊を呼び寄せる音色とされていた。夜は神霊が活発になる時間(≒人の時間ではない)。それで、神霊代表のちょっと怖い生き物として蛇が来る…ということになる」みたいな説明を見かけた。
夜の灯りが乏しい時代では、まぁ、自然な生活感覚だろうなと思う。

それで、これは同時に、夜に余計な音を立てるなという生活上のしつけや、蛇という危険な生き物への警戒でもある。

同時に、ちょっと怖くて面白い話でもある。

単に「夜に口笛を吹くな」というだけでは、心に残らない。子供相手なら、口をとがらせて終わりだろう。語る側にも、語られる側にも、面白みはない。

ここで「蛇が来るぞ」と、ちょっと怖い生き物がやってくるという語りが入ることで、語りを聞く側はぞっとする。語る側は、その反応を見て、楽しむ。こうした小さな物語になることで、心に残る。

繰り返し語るうちに、聞く側も慣れてくる。語る側も飽きてくる。それで、ちょっと「話を盛る」。例えば白い鱗を光らせた蛇が…と姿かたちが盛られたり、実はその蛇はむかし水辺に棲んでいた祟りする蛇のお使いで…とか。相手や場面によっては酒好きの蛇で…とか、怖い方面ではなくユーモラスな面を盛ったりすることもあっただろう。

そうして、ちょっとした「盛り」が膨らんで、妖怪の輪郭を作りだしてきた。

「盛り」の背景には、共同体の信仰や、生活の中のちょっとした違和感、正体の知れない気配、あるいは共同体に共通の記憶となるような出来事などがあっただろう。

そうした語りから、祀りにつながれば信仰の由来に繋がっていくのかもしれない。そして、そうならず、しかし生活の中の「語り」として残れば、妖怪になっていく。まぁ、世の中というのは曖昧で不明瞭なものなので、その中間あたりに漂っているものも多いようだけど。

3. キャラクタービジネスになった妖怪

共同体の「語り」の中の妖怪たちは、おおむね怪しい気配や現象のようなものであったりしたようだ。それは、近代まで続いていく。なんなら今でも、そういう妖怪たちは残っているように思う。

ただ平安時代頃には、また違った形での妖怪が生まれてくる。
物語や絵巻の中の妖怪である。
物語の中の妖怪たちは、ふさわしい由来・来歴と名前、そして振る舞いを与えられた。
一方で、絵巻では名前やら由来・来歴は必ずしも見えないが、その代わり「ビジュアル」(姿かたち)という強烈な個性を与えられている。

結果、妖怪たちは「キャラクター」化された。

そうしてキャラクター化された妖怪たち──たとえば鬼、土蜘蛛、鵺、大蛇や大百足、怨霊などなど──は、いかにも恐ろしげで、実際、物語の中でも脅威として現れる。そうして徳の高い僧侶や、当代随一の陰陽師や、武威に優れた武士に退治されて物語が落ち着く。
たまに、退治されないまま闇に消え、潜むこともあったようだけど。

そんな風にして、物語や絵巻物を通じてキャラクター化された妖怪と、日々の暮らしの中の怪しい気配や現象としての妖怪の二重構造が続く中で、室町時代のころに大きな変化が表れた。

真珠庵蔵『百鬼夜行絵巻』(部分) 伝土佐光信(室町時代)
(出典:真珠庵蔵『百鬼夜行絵巻』(部分) 伝土佐光信(室町時代)- Wikimedia Commons)

百鬼夜行絵巻である。まぁ、じっくり見て欲しい。
百鬼夜行は平安時代の説話にも語られているけれど、その姿はおどろおどろしく、行き会えば瘴気で病み、時に死に至るという恐ろしいものだった。
だけど、この絵巻に描かれている妖怪たちのユーモラスな姿ときたら。

ちょっとゆるキャラ感ない?

こうして室町時代ころに始まったとみられる妖怪をユーモラスに描く傾向は、江戸時代になって一気に進んだ…ように思える。

百鬼夜行絵巻は、その後も様々な作家によって描かれ、妖怪たちは陽気に生き生きとした姿を今に残している。

百鬼夜行絵巻
(出典:百鬼夜行絵巻 - NDLイメージバンク - 国立国会図書館)

こちらは江戸時代中期頃の作品。ますますゆるキャラ感が増してるよね。このままアニメにして動いて欲しいくらい。

江戸時代には、怪しい気配や現象としての妖怪にも転機があった。

大都市江戸の成立だ。

それはもう江戸のまちには、沢山の人が集まった。江戸のまちから地方に戻る人の流れもできた。
その流れに乗って集まったのは人だけではない。ものとお金、それから妖怪たちも集まった。

地方の日々の暮らしの中に潜んでいた「怪しい気配と現象」が上京し、そして今度は江戸から地方へ広がっていった。

ある地方でカッパと呼ばれていたものと、別の地方でカワタロウと呼ばれていたもの、また別のどこかでガタロウと呼んでいたものが「お、そういうのならうちにもいるぞ!」という感じで、交換されたり、イメージが重ねられたりも起きたんだろうと想像される。
あるいは他の地方の「怪しい気配」が、「どこそこには、これこれというやつがいるらしい」みたいに持ち帰られたこともあったろう。

そんな風にして「妖怪」の物語や姿かたちが、重なったり広がったりして、怪しい気配や現象の輪郭が、広く共有されるようになったりした。

もう一つ、江戸という大都市の成立が妖怪に影響したことがある。

江戸にヒト・モノ・カネが集まることで、余暇の文化が豊かに膨らんだ。
和食の基礎は室町の頃に固まり、江戸時代の頃に花開いた…みたいな話はよく知られていることだけど、木版出版も同様に花開いた。
江戸時代中期頃の出版業界の有名人、蔦屋重三郎を取り上げた2025年の大河ドラマ べらぼう なんかで知った人も多いんじゃなかろうか。
その流れに、妖怪も乗っかった。

百物語、怪談集、絵草子、妖怪絵図…

妖怪は出版物になった。

江戸時代中期の備後三次の人物、稲生正令が16歳のときに体験した怪異譚をまとめたという稲生物怪録はいろんな版や形式で出版されたりもした。
物語本はもちろん、絵本や絵巻などさまざまな形態で伝わり、その過程で内容も少しずつ変化していったという。

とりわけ、今でも妖怪好きなら必ず知っているのが鳥山石燕画図百鬼夜行である。

画図百鬼夜行の河童
(出典:画図百鬼夜行 - Wikimedia Commons)

江戸中期の浮世絵師・鳥山石燕は、妖怪たちを図鑑のように並べ、名前と姿を描きだし、1体1体に短い詞書…つまり紹介文をつけた。
それだけでなく、言葉遊びなども取り混ぜて再解釈し、これまで姿の無かった「怪しい気配や現象」に姿を与えさえした。

地方の怪異譚が、名と姿を与えられ、1体ずつに設定が加わり、物語になり絵になり、複数の版や形式を持ち、広がっていく。
やがて妖怪は物語さえ抜け出して、独立したキャラクターとして、あちらこちらに顔を出し始める。

感じられ、語られ、描かれ。そして恐れられ、また親しまれ。
妖怪たちは「怪しい気配や現象」という生活のかげから、ひょっこりと顔を出したり引っ込めたりしながら、やがて、見て・聞いて・集めて・語って、マルチに楽しいコンテンツになった。

まさにメディアミックス展開。
江戸時代、妖怪はキャラクタービジネスになった。

4. 妖怪は学術された

こうして江戸時代にエンターテイメントの一角に、しっかり居場所を確保した妖怪たちだが、実はピンチがあった。

明治の御一新、文明開化の鐘が鳴ったのである。

西洋文明である。科学技術である。
日本の伝統は泥臭く時代遅れで、非科学的なことを語るのは無知蒙昧で野暮なものだ…という官製と世間の空気が作り出した風潮に、妖怪たちは居場所を失うかと思われた。

夜も煌々と外灯が照らすまちに、彼らが潜む「かげ」は、もはやなくなってしまった。…なくなってしまうはずだった。

でも、そうはならなかった。日本人は、どこまでも妖怪が好きだった。愛していた。

一つには、科学技術の服を着た都市伝説が、ひそひそと、しかしどこか笑みを溜めて人から人に語り広められていった。

曰く、夜遅く時刻表にない謎の偽機関車が走り、消える。
曰く、電信線は人間の血を塗っているのだ。
曰く、写真機は魂をガラス板に閉じ込める。
曰く、人力車に乗った美女が、いつの間にか消える。

表向き、江戸のまちを陽気に彩った妖怪たちの姿は見えない。しかし、多くの都市伝説のオチにはタヌキやキツネ…化ける妖怪の筆頭格が配置されていたりする。
偽機関車が走ったあとにはタヌキ/キツネの死体が残り、消えた美女の座っていた人力車には葉っぱが残る。
文明開化された日本人は、口先では科学技術万歳と言いながら、しかし、妖怪たちを忘れられなかった。

煌々と照らす文明の光は、同時に生活の隅に、それまでより濃い「かげ」を作り出した。月並みな言い方だが、強い光は濃い影を生むのである。

さらに、遠くアメリカ合衆国から来たギリシア生まれ、アイルランド育ちのラフカディオ・ハーン…のちの小泉八雲が、その「かげ」の中に引っ込んでいた妖怪たちを拾い上げた。
むじな、ろくろ首…そして雪女の儚く美しい結末。
小泉八雲の繊細な筆致は、土の匂いを少し薄めて、文学の美しさでもって妖怪たちを文明開化のまちに再び送り出した。

同じ頃、妖怪たちは別の形でも文明開化と出会っている。

西洋文化の学術…文化人類学や民族学と近縁で、しかし人々の生活の「かげ」にこそ眼差しを向ける学術、民俗学である。
柳田國男は日本政府の官僚でありながら、日本各地に調査旅行の足を伸ばし妖怪を含む地方地方の「語り」を収集して回った。東北は遠野で聞き取った話をまとめた遠野物語は妖怪好きで知らないものはいない著作だと思う。
折口信夫は、柳田國男の高弟とされる一方で、国文学者であり、歌人・釈迢空でもあった。古代文学、芸能、信仰、ことばの発生へと関心は大きく広がり、万葉集や風土記、祭祀や芸能の中に眠る神霊的なものの根っこを掘り起こした。そうして、妖怪を日本文化の古い地層につながるものとして見る眼差しに、厚みを与えた人だ。

さらに哲学者も妖怪を掘り起こした。
井上円了である。彼は、教育者でもあり仏教哲学でも功がある人だが、妖怪好きの間ではむしろ「妖怪博士」として知られている。
文明開化の空気の中で、盲信・蒙昧・迷信にまみれた妖怪のことが、彼はダイキライだった。ダイキライすぎて「妖怪なんていない」と、批判的な眼差しで徹底的に妖怪を掘り起こし、解体し、分類し、合理のロジックで説明しようとした。
蒙を啓くために、柳田國男に先行して妖怪学を打ち立て、妖怪についての講義さえ行った。
結果、もともとは「怪しい気配や現象」全般を指す言葉であった「妖怪」を、現代日本で使われている「いわゆるお化け」に近い意味で語られる足場を作り、学術の目で妖怪を見る、ということの基礎を作ってしまった。

そうして学術研究の対象として、収集され、分類されたことで、妖怪たちがキャラクター化される前の、共同体の「語り」や「根っこ」などの元のすがたが保存されることになった。
そのおかげで、共同体の人々も生活もすっかり変わった現在に至るまで伝えられている。

妖怪は、学術された。

5. 再生産される妖怪

現代の妖怪たちは、むしろ生き生きとキャラクタービジネスに乗っかっている。
マンガ、アニメ、小説、ゲーム…
ちまたに溢れる創作物のそこかしこに、再解釈や新解釈、大胆なアレンジを加えられながら妖怪たちは再生産され続けている。

  • うしおととらでは、妖怪は人間と敵対し、時に共闘し、荒々しくも滑稽で、葛藤する存在として描かれた
  • ぬらりひょんの孫では、妖怪は任侠とからめて再構築され、「畏れ」という中心モチーフによって人間の「語り」との関係を変奏的に描き出した
  • 女神転生において、妖怪たちは神話のキャラクターと堂々と肩を並べ、負けず劣らず魅力的な仲魔として登場した
  • 京極夏彦の百鬼夜行シリーズは、人の心の「かげ」から顔を出した妖怪を、井上円了も顔負けの解体ぶりで合理の世界に引きずり出し、しかしまた闇に潜ませた

現代という割には古い?
まぁ、その辺りの事情はお察しの上、自分の触れてきた「妖怪」の物語を思い出して欲しい。できたらそっと、お気に入りの作品を紹介して欲しい。
最近の作品にも魅力的な妖怪はいっぱい出てきている。

そんな風にして、妖怪たちはエンターテイメントとして、キャラクタービジネスとして、弄り倒されている。

日本の妖怪たちは、守られていない。元の姿のまま大切に保存されたりしていない。
語られ、盛られ、描かれ、売られ、学術され、マンガになり、アニメになり、ゲームになり、好き放題に弄り倒されている。

でも、弄り倒されながら、ボクたちのそばに居続けている。
「かげ」の中から、ひょこひょこと顔を出したり引っ込めたりし続けている。
姿を変え、あり様を変え、時に名前さえ新しくなって、ボクたちの傍にいて魅了し続けている。

そうして、すっかり沼に引きずり込まれた一部の人たちは、やがて井上円了や柳田國男、折口信夫たちが道を引いた「妖怪学」に首を突っ込んで、その「根っこ」を知り、さらに辿っている。

こうしてボクたちの傍に居る妖怪たちの背後には、どれも水木しげるの鬼太郎の「かげ」がちらつく。
およそ、現代において妖怪を描くにあたり、水木しげるの影響から自由でいることは難しいのではないかと思うくらい。
実際、鬼太郎自身も、繰り返し繰り返しリメイクされ…新たな解釈とアレンジで、再生産されているしね。

そのくらい、水木しげるが妖怪たちに吹き込んだ新たな生命、その「すがたかたち」は、おどろおどろしく、でもどこか剽軽で、愛らしかった。

実はボクの妖怪の原体験は水木しげるの妖怪図鑑だった。確か、日本の妖怪ではなく、世界の妖怪を扱った子供むけのものだったと思う。
そこに描かれた「すがたかたち」、それぞれの名前と、短く書かれた説明書き。
それらは幼心をぎゅっと鷲掴みにした。

もっと見たい。
もっと知りたい。
もっと読みたい。

急かされるようにして、身体だけは順調に成長しながら、心のどこかには幼心を引きずったまま。
そうして水木しげる以外の作者が描く妖怪を求めるようになった。
それでも飽き足らず、小松和彦や鳥山石燕をたどって、貪るように読み続けた。

そうして、今にいたっている。

① 日本はどうやって「神聖なもの」を「エンタメ」に変えながら、その意味を守ったのか?
② それとも——実は守れていないと思う?「鬼滅の刃」の鬼は本当の鬼道を伝えているか?

(出典:𝗞𝗮𝘀𝗮𝗕𝗲𝘁𝘄𝗲𝗲𝗻𝗪𝗼𝗿𝗹𝗱𝘀さんのX(旧twitter)のポスト

この問いに関して、妖怪に限って言えば「守られていない」が答えのように思う。実際、鬼滅の刃の「鬼道」は、あんまり伝統的なそれとは整合していない。

でも、それが子供たちと、大きな子供たちの心をぎゅっと掴んでいる。そのうちの幾人かは、ボクのように「もっともっと」と妖怪への興味関心を広げたかもしれない。

妖怪以上に、妖怪好きが再生産されている。
それが日本の「妖怪」のありようなんだと思う。

このブログを検索

ブログ アーカイブ

ラベル

QooQ