上海蟹をたらふく食べたんである
上海蟹。
種としての名はシナモクズガニという。中でもとりわけ9月から11月のシーズンに、蘇州近郊の陽澄湖や無錫太湖で採れるものを上海蟹と呼んで珍重する。
さらに詳細はKONOKの上海蟹大辞典というページに詳しいのでそちらを見ていただくとして。
まぁ、ようするに横浜の中華街で上海蟹をたらふく食べてきたんである。
桜井:「今週末の休出が急に空いたのだ」
友人:「そうか」
桜井:「で、今はまだ上海蟹のシーズンだということに気がついてな」
友人:「ふむ」
桜井:「行かないか?」
友人:「行くか」
桜井:「行こう」
友人:「行こう」
と、まぁこんな次第である。
ちなみにこの友人、横浜在住でボク以上の中華好き,仲間内では中華街の案内人とか住人とか好き勝手に呼ばれている男。
ボクよりもよほど詳しいというわけで、店の予約もチョイスもお願いしたところ快く引き受けてくれた。
持つべきものは友だ。
そして土曜日。
件の会話の後、もう一人同志を加えて三人で中華街である。
まず昼。
福建路を関帝廟側から入って少し歩いたところにある『東林』に入る。
そしていきなり酔っ払い蟹を三杯。
この酔っ払い蟹という料理、蟹を生きたまま紹興酒に漬け込んでしまうという豪快な料理で──実はボクが子供の頃からアコガレてたものである。
運ばれてきた酔っ払い蟹を前にため息。
まず香り。台湾の蜆の醤油漬けに似た酒と醤油とニンニクの混じった香りが鼻をくすぐり食欲を揺さぶる。
次いで殻を外す。鰓や胃など、いわゆる食べてはいけない部分はすでに取り外してあり、海栗に似た山吹色のミソが早く食えと言わんばかりにつやつやとそこにある。
ここで我慢しきれず、胴体ごろかぶりつき、ミソと蟹の身の汁をすする。
「旨い」
一言である。もう、他に言うことはない。
あとはもう、むさぼるように食べた。
ねっとりと濃厚な甘みのミソ,同じくねっとり舌にからむ身。
殻を割っては食らい、食らっては啜る。時折ため息と、旨い旨いと言い合う他はむさぼるように食べるだけの時間が過ぎていく。
そんな昼だったのである。
その後、夕食までの間は中華街から元町の雑貨屋や古着屋を巡って歩き回ったが。
この記事は上海蟹を食べた自慢をする記事なので割愛(笑)。
さて夜は場所を変えて『福満園本店』。こちらは、北門通りの中ほどにある福建と四川料理の店である。
ここでやはり、いきなり上海蟹を使ったメニュー三品、『蒸し蟹』,『上海蟹と餅の炒めもの』,『四川風炒め』をオーダー。店の人に『そんなにく──食べるんですか?』と言われてしまう。
──が、さらに追加で福建料理を何品かオーダーした上に茅台酒(マオタイチュウ/中国の蒸留酒,けっこう高い)まで頼む始末である。
この面子で食欲が弾けているのはいつものことだが、どうやら上海蟹に舞い上がって金銭感覚までおかしくなっていたようだ。
で、料理の味。
正直に言うと、酔っ払い蟹ほどの感動はなかった。いや、もちろん、それぞれ十二分に旨かったけども。
蒸し蟹は、やはり蟹そのものを食べる料理で、熱を通すとこんな風に味が変わるのか、と関心しながら食べた。
甘みも食感も酔っ払い蟹の方が好みだったけども、香りがほっこりとして海産物がダメな人にはこっちの方がよさそうな気がする。
対して、炒めもの二品は蟹の身を食べるってよりも蟹から出た旨味を他の具に染みさせて食べる料理。
餅といためた料理は甘みと餅の食感が日本人向け。美味だった。
四川風炒めの方は、麻花兒(麻糸を束ねてねじったような形の中華菓子,そんなに甘くない)に上海蟹の旨味を吸わせた料理だったけれども──残念ながら辛すぎて十分に味がわからなかった。残念。
茅台酒で舌を洗いつつ食べた感じでは、かなり旨味を吸ってイイカンジになってそうだったんだけども。
すっかり満足して店を出た後、『悟空』で中国茶を仕入れ。
中華一色の一日だったんである。
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