2006/09/20

『頑張る』についてつれづれ:そのに

 『頑張る』についてつれづれ:そのいちの続き。
 前の記事は『頑張るコト/頑張らないコトの価値』について、つれづれ。なんだか、イマイチまとまってない中学生の作文みたいだったけど。
 今回の記事は『誰のために頑張るの?』と言うオハナシ。

 自分が人より恵まれてるから、その人の分まで頑張るのだというなら頑張らない方がいい。
 自分以外の誰かのために頑張るというなら、やっぱり頑張らない方がいい。
 誰かのせいにして頑張るのはズルい。

 自分の中に、心を蹴飛ばす何かがいるなら、頑張るしかない。
 自分をどこかに駆り立てる気持ちが暴れるなら、頑張るしかない。
 誰のせいにもできないから。

 『ある人』の日記で話をしたときに言ったコトを手直しして再録。
 間違いなくボクの本音。
 誰かのためになんて頑張れない。もし誰かのために頑張るって言うなら可能性は二つ。

 一つは、その『誰か』に何かをしてあげたいと思う自分を満足させるため。
 ほら、よくあるアレ。
 彼女が喜んではしゃぐ笑顔を見るとなんでもしてあげたくなっちゃうとか。
 自分の作った料理を美味しそうに食べる彼氏を見ると苦労が吹っ飛ぶとか。

 もう一つは、頑張ることのリスクとコストを『誰か』に押し付けるため。
 これもよくあるアレ。
 俺はお前たちのために頑張ってきたんだ、文句を言うな! とか。
 お前のために全てを注いで頑張って、とうとう俺はなんもかんも失くしちまったよ、とか。

 前者は結局、自分のため。
 でもボクはこういう『誰かのため』は割とスキ──むしろダイスキかもしれない。
 後者は結局、成功した手柄は自分のモノ,失敗したらお前のせい──というリスクの擦り付け。ボクはこういう『誰かのため』はダイキライだ。

 どちらもエゴはエゴ。独りよがりな自己満足かもしれない。
 でも。
 どうせならやっぱりエゴの責任は自分で持ちたいじゃないか。
 ボクはそう思う。強く強くそう思う。
 だから『誰かのせいにして頑張るのはズルい』のだ。
 頑張った結果が良くても悪くても、自分のため。
 同じエゴ、同じ独りよがりなら、せめてズルしたりカッコワルイのは厭だと思ったんである。

 ──で。
 どうも『ある人』の話をよくよく聞いてみたら、どうもスタンスは似たような感じらしくて。なぁんだ、結局、考えをまとめるチャンスもらっただけじゃん、というオチ。
 どっとはらい。

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