安いお涙頂戴はダイキライというか、そういうものに心動かされてはいけないと、美しいお話の裏には罠が隠れてるかもしれないと自戒するようにしているのだけれど。
それでも、このお話には心動かされてしまったので紹介まで。(なおリンク先は、無料だけどユーザ登録が必要なのでご承知おき頂きたい)
1996年11月の四川省の寒村。若い未婚の男性農夫が草むらに捨てられた女の子の赤ちゃんに気づきました。赤ちゃんを育てるのは、貧乏な彼にとって重い負担。そう考える彼は何回も赤ちゃんを抱き上げては下ろし、立ち去ってはまた戻りました。最後、彼は命が尽きそうな赤ちゃんに呟きました。
「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」と。
独身のまま1児の父親になった農夫は、粉ミルクを買うお金もないため、赤ちゃんはお粥で大きく育てられました。病気がちな体は心配の種でしたが、聡明で近所からとてもかわいがられたのは、お父さんの救いでした。
同じく宋文洲氏のblogの記事(宋 文洲の「言います、答えます」 - 日経ビジネスオンライン「宋 文洲の傍目八目」(2007.1.25))にも、補足情報が掲載されている。
記事のコメントに農夫やこの少女の考え方や行動があまりにもできすぎている
というのがあって、それは確かにそうだと思う。
作り話にこんなに多くの人がだまされるわけがないだなんて、それこそ、そんなわきゃない例は枚挙に暇がないし。美しい話ほど人は自ら望んで騙されるものであるし。
そういう疑いを持つ視点は大切だ。
素直に信じるにはためらいがある──あるべきだと思う。
でも、そうであっても。
この記事を読んで心動いた自分自身は否定したくない。
それに、たとえこの話が出来すぎだったとしても、これほどドラマティックでないとしても、似たようなことは世界中で起きているってことは正面から受け止めたい。
──そして、少しでも多くの人と共有したいのだ。
これを読んで思うことは、人によって様々だと思う。そうあるのが自然だし、それでいいとも思う。
でも、ともかくも読んでみて欲しい。そして、忙しく過ごす毎日の中、少しだけでいいからもの思う時間を割いて欲しいんである。