2007/02/27

『新聞が背負う「われわれ」はいったい誰なのか』について考える

 CNET Japan Blog - ジャーナリストの視点でのここ最近のエントリから。未読であれば、まずはこちらのエントリを読んでみて頂きたい。

――がんだるふ氏の疑問提起に対する取材班の対応として、どのようにすべきだとお考えになりましたか。また実際には、どのように対応されたのでしょうか。
池田氏 基本的な見解が違っているのかなということです。
――基本的な見解というのは、どのような意味ですか?
池田氏 それについては言えません。
――どうして言えないのですか。
池田氏 がんだるふさんに対する個別具体的なことなので、それ以上のことを教えるわけにはいかない。
――では一般論として、基本的な見解が相違しているというのはどのような文脈において使われているのですか?
池田氏 一般論としても、それ以上のことは第三者の人についてはお教えできない。新聞記者のモラルとして、取材先との話を佐々木にお答えするというのは控えさせていただきたいと思っています。
――しかし「基本的な見解が違っている」というのはあまりにも曖昧とした表現で、何を説明しているのかという基本的なことさえそれでは理解できません。説明として足りていないのではないですか。
池田氏 基本的にわれわれは取材の意図を説明した上で、取材に入ったという認識を持っている。だから、いまおっしゃられることについて言うと、そういう取材の説明をしているわけだから、彼がおっしゃっていることとわれわれの認識していることが違うのであれば、それは見解の相違であるということです。

CNET Japan Blog - 毎日新聞「ネット君臨」取材班にインタビューしたから引用

 ちょっと引用が長くなったけれども、通して読んでみて『ここかな?』と思った部分である。ここかな? というのはつまり、ボクとマスメディアの間に横たわるギャップの最も大きなところ、という意味で。

 マスメディアが一概に悪い、とは言わない。
 実際、広く世間の情報を取得するときの主な情報源はほとんどがマスメディアに依存している。いくらインターネットの発達でとてつもない量の情報が公開されているとは言え、及ぶ範囲に限りもあれば情報収集するボクのスキルも時間も限界がある。そういう自覚もある。
 だからマスメディアのお世話になるところは大きいし、感謝と尊敬も感じている。リップサービスではなく。
 ただ、ときおりカチンとくるというか、許容しがたいギャップを感じることがあるのだ。
 それはつまり──

  • 世間の正義と権威を代表したかのような物言い
  • 自分たち自身のモノやコトに対する情報の非公開,説明の不在

 こんな辺りに集約できる。
 別の言い方をすれば、ボクとしてはマスメディアには事実としての情報を伝える機関・組織を期待しているのであって、正義や権威は期待していないということだ。そして、それを担保するために透明であることを期待しているのだということなのだ。

 勝手にボクの正義を代表して欲しくないし、権威でもって重くのしかかられたくもない。マスメディアは社会の木鐸だ、なんて自負はいい迷惑だ。
 ボクはボクで、モノを考えているし、それだけの能力はあるって自負くらいはある。それを土足でないがしろにされたとき、にこにこ笑っていられるほどボクは寛容じゃない。

 もちろん、企業としての立場があることは分かる。それ以前に、無数の事実を取材し、整理し、一つの情報として仕立てる一人一人のジャーナリストたち自身の立場や正義,価値観があることは分かる。それを取り除こうたって、不可能なのも承知だ。
 ボクが期待しているのは、そういうことじゃない。

  • 権威や正義を押し付けないこと
  • 事実に対して誠実であること
  • 自分自身の立場や正義,価値観を明らかにすること
  • 事実を取材し、情報として加工していく過程をできるだけ明らかにすること

 ボクがマスメディアに期待しているのはそういうことだ。
 決して簡単なことじゃないことは分かる。でも、そういう難しいことだからこそプロに期待している。素人に期待するのは酷に過ぎることだから。(でも、そうあろうとする素人の人たちが沢山いることも知っているのだけど)

 プロとしての意地を、もっと沢山見たいと思う。
 権威なんかの笠を着ない、裸の意地を。
 ──ささやかな、ボクの希望なんである。

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