オレ、このまんまでいいのか? ──あるいはボクがblogを書く理由
「オレ、このまんまでいいのかなぁ──なんか、なんもかんも中途半端でさ。これじゃ立派なオトナになれねぇと思うんだよね。身の回りにもロクなオトナいないし、どこを目指していけばいいんだか」
昼休み、同僚で友人の一言である。
おいおい、もう四半世紀以上の齢を重ねたイイオトナが酒も呑まずに言うこっちゃないだろう──と思ったのだけど。いやいや年齢は関係はないかもしれないなと、やや遅れて気づいた次第。
要するに、ロールモデルの不在という問題なんである──たぶん、きっと。
社会人になれば身の回りには売るほどオトナがいる。だけど、ロールモデル足り得る立派なオトナがいるかと言えば心もとない。
むしろそれが普通で、リアルな場で出会えるってのはとても幸運なコトだろう。職場にこもりがちな仕事をしてればなおのこと。狭い世間がさらに狭い。
それでボクの答えは二つ。このとき、ボクは半ば友人に向けてよりも、自分自身に改めて言ったようなものだったけれど。
- なんでもいいし、短期間でもいいから、何かがむしゃらに打ち込んでみるコト
- blogを始めるコト
最初の一つは、割とアタリマエの話だから説明はいらない。そういうコトにしておく。
もう一つのblogを始めるって話の方は、意図を説明しないと伝わらない。
それでボクは──
- blogはインターネット上の分身である
- ささいなコトでもアウトプットが蓄積していく
- いつかそれは誰かの役に立つかもしれない
- アウトプットへのフィードバックもまた蓄積していく
- アウトプットの習慣自が、自分へのフィードバックにもなる
- アウトプットとフィードバックを繰り返していくプロセスが自分を高めることになる
- 思考したこと,思考の様式が磨かれる
- アンテナの感度が高まる
- アウトプットとフィードバックの蓄積が分身の存在感を増す
- ヒトと情報が集まるようになる──つまり、ネットワークが広がる
- ネットワークが広がることでロールモデルとの出会いが期待できる
- それどころか、自分自身がいつか誰かのロールモデルになるかもしれない
こんな説明をしたんである。
その場の思いつきで喋ったことを、記憶頼りに再現・整理したので、イマイチまとまらないのはご容赦いただきたい。どっかで聞いたような受け売りになっている部分もあわせて一つ。
そもそもロールモデルとの出会いが云々とか言う以前に、アウトプットとフィードバックの蓄積,それからネットワークの拡張の過程自体が楽しいはずで。
むしろボクはそこを強調すべきだったと今さらながらに思う。
なぜって、どうやらこの辺りがボクがblogを書く理由らしいから。
こういうやり方もあるんじゃない、とこじつけて自分の楽しいと思ったことを人に進めていたコトに今さら思い至ったりして。
おやおやなんだい、途中で話が変わってるじゃないかと文句の聞こえてきたところで。
今日のところは、どっとはらい。
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