2009/12/28

「原単位あたりの表現力」なんて視点も大事なのかも。

買い物の帰りがけ、車の中で奥さんとの会話で:

「チョークって力を入れて書けるでしょ。文字のトメ, ハネはチョークじゃないと分かりづらいの。ホワイトボードやパソコンじゃ、できない。だから、小学校では黒板とチョークが今でも使われてるの」
「なるほどなぁ。それは気がつかなかった。チョークなんて手は汚れるし粉は出るしで、とっととホワイトボードにしちゃえばいいのにって思ってたよ」(もっと言えば「板書」する時間もムダだからデジタル化しちゃえばいいと思うね)
「他にもいいことあるんだよ。例えばチョークを横にして線の太さを変えたり、くるっと回して丸や花丸描いたり……。パソコンやホワイトボードにはない温かさとかさ!」

正直言うと、トメ, ハネを書く時の力の入れ方はともかくパソコン……というか、デジタルデータだって線の太さを変えたり、くるっと花丸を書くくらいのコトはできるよなぁ、と思いながら話を聞いていたりした。ましてデジタルデータであれば再利用性も高いし!

でも、ふっと。これって、つまり「単位時間辺りの表現力」のコトを言ってるんじゃなかろうか、と思ったのである。

例えば小学校での授業風景を思い出してみる。45分という短い, 限られた時間の中で、多種多様な「生徒」たちを相手に情報を伝達する活動だ。

おそらく「板書」は予め容易しておいて、黒板に書き出すカタチになるだろう。その場で考えながら書き出すのでは時間もかかるし、質も落ちる。再利用性も悪い。でも実際に「黒板」に書き出される内容は事前に容易した「板書」の下書きそのままにはならないハズだ。生徒たちの反応や応答, 顔つきなどを見ながら、書き足したり、消したり、図表を挿入したりするだろう。そうした「板書」の書き換えは優秀な教師であるほど「頻繁」に起きるだろう。

さて、その時にデジタルデータで、短い時間の間に、どこまでのコトができるだろう?

線の太さをストレスなく変えられる? 傍線の種類を切り替えられる? 図表を挿入できる? くるっと丸を描いたり、花丸つけたり、落書きを入れられる?

どれも出来るヒトは、息をするみたいに自然かつスムーズにできるだろう。でも、それはボクのいる、比較的リテラシの高い職場でもごく一部だ。(それ以前、な同僚が少なからずいるコトはひとまず置く) また真逆の方向として「そんなのは、どうやったらできるの?」なヒトもいるだろうけれど、これもまた少数派だと思う。

大半は、時間を掛ければできるけど、授業のような「限られた時間」の中でやるのは難しいってトコロではなかろうか。だから、今も小学校では「黒板+チョーク」なのだ。

メディアを評価/選択するときに、ボクたちは漠然と「表現力」という言葉を使うけれど。実は絶対量だけではなく「単位時間辺り」だったり「単価辺り」などの「原単位辺りの表現力」も考えなくちゃいけないな、と。そんなコトを奥さんの言葉に気づいた次第なんである。

追記.

多分、AppleのタブレットPC(iSlateって名前で2010.01~03にデビューするってウワサのアイツ)が広く普及したら「単位時間あたりの表現力」もデジタルデータの方が「黒板+チョーク」を上回るようになると思うんだけどね……なんて負け惜しみをふっと思いついた。いやま、ホント今更なんだけどさ。

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