2009/12/01

RE: 「透明性」って本当に副作用が無いの? - Geekなページ

元記事はLawrence Lessig教授による「(情報の)透明性」がもたらす負の側面に関する考察(The New Republic: Against Transparency)の紹介と、所感。(教授の考察原文は全文英語につき、まだ読めてない, 時間作ってあらためて読んでおこう)

もともとボクは「公人/公的機関の情報は明らかな支障がない限り公開されるべき」と無邪気に信じているクチなのだけど。

ただそんなボクでも「そうだよな」と思わされる「負の側面」は確かにある。つまり、本質的な問題は「人は見たい/聞きたいモノしか見ない/聞かない」というところにあるんだ、と。

そうはいっても情報が公開されていなければ、やっぱり事実は見失われるわけで。だから「必要な情報を要求に応じて必要な範囲に開示する」というのが落としどころになるんじゃないかと思うけれど。でも、じゃぁその「必要な情報」を誰が判断できるのかみたいなトコロまで詰めていくと、なかなかに悩ましい。誰も気づかなかった「使い道」が見つかるところからイノベーションって起きるわけだし。それは「情報」も例外ではない……むしろ現代では主役の一人ですらある。

結局は機械的に「公開」と「非公開」を仕分けることはできなくて、これからも長い長い試行錯誤を繰り返していくことになるんだろうなぁ。

内容:

"「透明性」に関しても、透明性が上昇することで発生し得る問題点や、その「透明性」が単なる誘導ではなく本当に「透明」であるのかどうかなど、実はかなり複雑で難しい課題なのではないかと思います。 透明性に限らず、インターネットに関わる様々な事で薔薇色の未来を語る方々が非常に多いのですが、薔薇にはトゲがあり、そのトゲがどのような副作用を発生させるかも同時に考えた方が良いのかも知れません。 レッシグ教授のエッセーは、「地獄への道は善意で舗装されている」という話の「透明性」版を恐れているのかも知れないと思った今日この頃です。"
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