2009/11/28

RE: モチベーションなんて上げなくてもいいんじゃないの? - 一詩人の最初の歌

元記事は「なんだかやる気が出なくて色々と手がつかない状態を変えたキッカケは、モチベーションアップじゃなく"取りあえず何かしら簡単なこと"をとりあえずやってみるコトだった」というお話。

そういや、身に覚えがかなりある。

処理しきれずに積もりに積もった「小さなタスク」の山の圧力に負けて、目の前の重要案件に集中できず、かといって「小さなタスク」に手がつくわけでもない。心理的なデッドロック状態。

ボクはこういう状態を「ココロの慣性の法則」と(勝手に)呼んでいる。動き出すと動き続けたがり、ひとたび止まると止まり続けたがる。人の

こういうとき自分自身に対して「モチベーションを上げよう」って努力は多分、無意味なんだろうな。ただ空回りしちゃって消耗するばっかりで。あるいは「あずまんが大王」のちよちゃんの「やる気~でろ~」みたいなもので。

キッカケを与えてやれば, あるいは取り巻く環境やおかれた状況がピッタリとハマれば勝手に上がるもの。タスクを処理していくのにモチベーションなんて、さほど重要じゃないくらいに思ってた方がいいんだと思う。

それよりは、小さなキッカケを繰り返し自分に与える方がいいのかもしれない。

カンタンに片付くタスクに"とりあえず"手をつけてみる。不思議なもんで、カンタンなタスクでも片付くと次に手をつけたくなる。繰り返すうちについてきた勢いで、手付かずにしていた固い/大きいタスクをやっつける。エンジンを掛けるときに暖気するみたいに, あるいは遠くへジャンプしたいときには助走をつけるように。

そういう「仕組み」を習慣にできたら、今度は徐々に助走の距離を, 暖気の時間を短くする方向にアプローチするのがいいのかもしれない。

ココロって手に触れらないし、目に見えないものだから、なんとも厄介だよね。

内容:

"ただ、最近気付いたのは、一度突破口を開いてしまえば簡単だということ。「あれもしなきゃ」「これもしなきゃ」とわかっているのに動けない状態は辛いものですが、一端それを忘れてみる。で、取りあえず何かしら簡単なことをしてみる。僕の場合は例えば、定食屋のチキン南蛮が食べたいから食べに行くでしたけど。すると気分は変わるものです。定食屋の近くに郵便局があるから、じゃあついでに振込もしてしまおう。帰りにドラッグストアがあるから寄って行こう。小さなモチベーションが積もり重なっていって、徐々に徐々にやる気は出てくる。 おそらく、「やることがたくさんある!」と高い壁を想定して身構えてしまうからダメなんですよね。高い壁を越えるというのは誰にとっても面倒なもので、そのためのモチベーションを持ってくるのは容易なこっちゃない。だからもう、そんなモチベアップは諦めてしまえばいい。そして一段ずつ、階段でもはしごでも持ってきて上がっていけばいい。ちっこいモチベアップなら、なんとかなるときもあります。それでもどうにもならない日は、まぁちょっと寝て待ってりゃいいんじゃないかと。別に一生ずっと動かずにいるわけではないのだから。いつかは動くはず。"
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