2010/04/26

Kindleの企画/開発チームが描いた「読書体験」は本読みのためのもの。Steve Jobsが描いた「読書体験」は非本読みのためのもの。 #apple #amazon #kindle #ipad

子供の頃から本を読むということが自分のアイデンティティの大きな一部であり、本を読んだり書いたりす ることを仕事にできる非常にありがたい身分になった 私には、「本」の従来の形態にはたいへんな愛着があります。よくも悪くもアメリカと比べると日本ではいろんなコンテンツの電子化が遅いので、日本で電子書 籍が紙の本を駆逐してしまう日はそう近くは来ないだろうとは思うのですが、それでも、本の種類によっては、電子化がとてもエキサイティングな可能性をもた らすことは確実。たとえば、音楽についての本なら、読んでいる部分で言及されいる曲の一部を聴けたらいいし、今みたいに高いお金を払って美術書や建築書を 買わなくても画像が見れたり(それもズームできたりさまざまな角度から見れたり)したら、それは読者にとっては魅力的に違いないでしょう。
Kindle か?iPadか?紙の本か? - Dot Com Lovers

元記事ではさらっと話の枕に書き流しているけれど。引用部分の後半……つまり楽曲や画像(ズーム/ローテーションできる図画写真, あるいはここにはないけれど動画)がシームレスに組み込まれた「本」ってのは、新しい「読書体験」の分り易い面を綺麗に描き出している。

いつでもどこでも, デバイス/メディアを選ばず、好きなときに好きなように読める「ユビキタスな読書」という面は、本当の「本 読み」にとって、それこそが最大のイノベーションであるけれど。でも、それは、非本読みに対するアピールが少しばかり弱い。多分、デジタルネイ ティブ/デジタルイミグラントにとっての「ユビキタスなクラウド」の価値が、非デジタルな人たちには分かりづらいと似てる。

でも楽曲や画像を、子供だましでなく引用できる, あるいは文脈の中に埋め込める「本」ってのは、かなり分り易く非本読みにも訴求すると思うんだ。

実は、すでに幼児向けの絵本では、紙媒体+電子部品という実装で、かなり面白いものが普通に出回っている。(恥ずかしながら子供を持つ身になるまで 気付かなかったんだけど) でも、やっぱりあれはメディアの制約を超えられそうにない。ましてオトナ向けの書籍となると、とんと見ない。(少なくとも読書体験の中に、シームレスに組 み込まれたものは見かけたことがない)

これが「電子書籍」だったら……

あんなコトも、こんなコトもできちゃう。そんな想像が膨らむ。それだけで三杯くらいはご飯が食べられそうだ。

Kindleは「本読み」には必要十分で、多分Amazonの思い描いた「読書体験」は「ユビキタスな読書」であったのだろうと想像がつく。きっと彼/彼 女(ら)は、本読みのヒトたちなんだと思う。

そしてiPadをイメージしたSteve Jobsの頭の中には明らかにユビキタスだけではない(楽曲や画像がシームレスに組み込まれた)「読書体験」が具体的にあったハズだ。……なぜな ら、彼は本読みではないから。

どちらがよりマスを狙えるかと言えば……ボクには議論を待つまでもないと思う。確かにiPadのような「液晶」のデバイスは目が疲れるだろうけど、 それが致命的な欠陥になるほど現代人は本を読まないだろうしね。

……ところでここまで書き出してふと思い出したんだけど。一昔まえに騒がれた「マルチメディア」ってヤツと、新しい「読書体験」って何が違うんだろ うね(笑)。

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