人は物語化する生き物である──とかなんとか
唐突な切り出しであるが、まぁ、要するに人は物語をする生き物なんだと言うお話。
いや、まぁ、きっかけはCreator's Networkというサイトが提供してるIRCチャンネル#もの書きの2005/03/20 02:00頃のログから。
[ENO] そもそも「物語」ってのは、そのための、楽しむための道具だと俺は思うのよ
[nmasaki] 成る程なぁ。。。
[ENO] 無くても生きていけるし、困らない
[ENO] でも、あると楽しい
[nmasaki] 人生をプラスにする為の道具。。。
[ENO] 通販番組の「アイディア台所用品」。くっつかない包丁みたいなものでね
[ENO] 「あれば便利!」だけど「無くても困らない」
[SiIde-Zau] 妄想禁止、とか言われると、椎出は死んじゃうかもしれない(笑)<なくても生きていける
[ENO] 要するに、非常持ち出し袋の中に入れるものとしては、優先順位はかなり低い<小説
特にこの辺り。
読んでてふっと違和感というか、あ、違うなっと思ったんである。
ボクの物語に対するスタンスと違うな、という感覚。それが面白くてついつい。
人間は物語なしでは生きていけない。そういう生き物なのだ。
目の前の事象に『物語』をつけないと納得できない。安心できない。
天変地異が起こるのはやはり世界の終わりが近いから、使い古された連想。
殺人犯には必ずそれなりの動機があるに違いないと、世の中の当たり前。
悪いことばかり続くのは日頃の行いが悪いから、そんな呟き。
世の中に悪いことが絶えないのは誰かの陰謀だと、なんてパラノイアティック。
私とあなたはきっと運命の赤い糸で結ばれているから、まるでロマンティック。
ちょっと極端な例えばかりだったけれど。
目の前の出来事に対して○○だから●●だ、なんて。ついつい日常生活でもやってるに違いない。
こういう作用を『物語化』と呼ぼう。(なんてえらそうに言ったけど、これも件の#もの書きに居るStellaさんが使った言葉を借りてたりする)
でもまぁ『物語化』する能力は誰でも持っているけれど、その発達には大きな差があって。それはきっと社会や個人の持つ『余暇』や『経験』や『知識』なんかが大きく作用してて。
兎も角も、高度に育った『物語化』する機能が、フィクション・ノンフィクション問わず『物語』に商品価値を与えるのだと、そんなことを思うんである。
それは送り手側だけの機能ではなくて、受けて側にも要求される能力で。なぜならば『物語化』する能力がなければ、それを読み取ることができないから。
そうそう。
この『物語化』する機能、頭の良い人にしばしば誘導されて上手に利用されちゃったりすることもある。
曰く、わが国は神の国である。
曰く、彼の宗教の徒はすべからくわが国を狙うテロリストである。
曰く、我が民族は最も優良であり劣等民族を支配する義務がある。
曰く、赤い勢力が彼の国を支配すればドミノ式に赤い国が増えていく。
曰く──
集団で共有された『物語』の力は空恐ろしいもので。また頭の良い人が誘導する物語には、心のどこかがくすぐったくなるような甘い甘い蜜が混ぜ込まれてるものだから。
だから、信じられないほど愚かしいことをしたりもする。
よくよく気をつけなくっちゃいけない。『物語』は事実に沿うこともできるけれど、事実を遠く離れ命綱もパラシュートもなく空を飛ぶことがあるんだから。
まぁ、こんなことをつらつらと思ったんである。
誰でも『物語化』する機能は持っている。でも、その発達は一様ではない。
くれぐれも『頭の良い人』たちの思うまま、他人の『物語』に踊らされることのないようにしたいもんである。
それから願わくば。
公園の遊歩道で前から歩いてくる子供達を見て、微笑ましい『物語』を思い浮かべられるようになりたい。
サフイウヒトニワタシハナリタイ、んである。
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