シンクロニシティ(Synchronicity)について
実はボクはユングのファンである。
フルネームではカール・グスタフ・ユング。以下、略歴をWikipediaから引用する。
カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医、精神医学者、心理学者。
どの程度のファンかといえば、幾らか心理学に通じた人に軽く眉をひそめられてしまう程度。心理学についてもユングの理論についてもまるっきりの素人で、そのくせ知った風なクチを聞く、というところだろうか。
元型の概念が面白いんである。(元型については元型論という著作がある。ちょっと歯ごたえはあるけれど面白いのでオススメである)
正直言うと『科学的に妥当であるかどうか』というのはあまり気にしていない。もちろん、ユングを知っているボクは人のココロを癒す方法を知ってるんだ──なんてことも露ほども思っていない。(生兵法は怪我の元、昔の人はいいことを言ったもんである)
ただ『物語や物語的なものを元型の概念に通すと面白い』という甚だ不純な面白がり方なんである。
時折、あたってんじゃないかなぁと思うことはあるけれど、錯覚というもんだろう。或いはそう思わせてしまうあたりが魔力なのかもしれない。
だから、ユンギアン(ユング派)からは別の意味で眉をひそめられてしまうかもしれない。幸か不幸か、友人・知人にユンギアンはいないけども。
そんな不真面目なボクなので。
ユングの唱えた理論でも、理解できないものは結構ある。かなりある。というか、わらかないことだらけである。
中でもとりわけ、長らくよく分からないままだった言葉がタイトルのシンクロニシティ(Synchronicity)──日本では共時性と訳される言葉である。(余談だが、ボクは長らくこれを"シンクロニティ"と間違って覚えていた──いかに不真面目なファンかよく知れる(苦笑))
ひとまず、Wikipediaから記事の冒頭を引用してみる。
シンクロニシティ(英語:Synchronicity)とは、事象(出来事)の生起を決定する法則原理として、従来知られていた「因果性」とは異なる原理として、カール・ユングによって提唱された概念である。共時性(きょうじせい)とも言う。
何か二つの事象が、「意味・イメージ」において「類似性・近接性」を備える時、このような二つの事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合、これを、シンクロニシティの作用と見做す。
シンクロニシティを主題として、ユングは、理論物理学者パウリと共著で著書を出版している。
──わかったようなわからないような。
原因があって結果が起こる。これが因果性の原理だ。
この因果性に拠らない原理がシンクロニシティであるという。
「意味・イメージ」において「類似性・近接性」を備える時
から以下の文はつまるところ『相手の髪を仕込んだ呪いの藁人形に五寸釘を打ち込めば、髪の主が苦しむ』という呪いの藁人形モデルを連想させる──っていうか、そのまんまだ。
そりゃこんなこと言えば科学者の皆さん、とりわけ普段から胡散臭く思われがちな心理学者の皆さんからはそっぽも向かれようってもんである。
シンクロニシティの原理によって起こる現象は、科学の手法によっては検証できない。科学ってのは大雑把に言ってしまえば『原因と結果』の関係を、再現できるカタチで証明してみせることを言うのである。
ところがシンクロニシティの原理によって起こるモノやコトは『原因と結果』とは関係ないと主張する。
従来知られていた「因果性」
とは言っているけれど、科学の側は従来知られていたカタチでの「因果性」を証明しようとするから、もし科学の手によって証明されたならそれは直ちにシンクロニシティではないということになる。
定義からして、科学からそっぽを向いちゃってるではないか。
そりゃ科学的な思考回路を持つ現代人のボクには理解できなかったわけである(笑)。
思うに。
ユング先生が、本当は何を言いたかったのかは未だにわからないところもあるけれど。
もしシンクロニシティに相当するモノやコトがあるならば、それはボクたちのココロの中にだけあるのだ。
手前味噌で恐縮だが人は物語化する生き物である──とかなんとかなんである。
人はとかく現象や事象に意味を見出したくなる。物語化してしまう。
例えば『相手の髪を仕込んだ呪いの藁人形に五寸釘を打ち込んだら、髪の主が苦しんだ』とき、藁人形に五寸釘を打ち込むって行為と、髪の主が苦しむという現象の間に人は因果と関連を見出してしまうものなのだ。
そのときボクたちのココロにはシンクロニシティが起こっているんである。ボクはそう思う。
ユング先生の理論を矮小化して理解するなと怒られるかもしれないけれど。
どうやらボクには、そのような理解の仕方しかできないようなのだ。
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