若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来
404 Blog Not Found - 3年ではなく3世代必要な議論を読んで、興味を引かれて若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来を読んだんである。
タイトルを一見すると、就職活動中の学生,会社に入って1年目か2年目の新入社員、はたまた人事部のひと向けの本に見えるけども。
むしろ、会社勤めを始めて5年~10年目くらいでそろそろ中堅若手、でも『アーア、ヤッテランネーヨナァ』とか『アレ、オレ、ナンノタメニ働イテルンダッケ?』なんて思っちゃってる人たちに読んで欲しい本である。
それから『なぜ若者は辞めるんだろう?』と問われて『忍耐が足らないからでしょう』なんて思っちゃってる思考停止なオジサン達にも、ぜひ読んで欲しい。
本書の半分くらいは、メインタイトルの通り若者が3年くらいで辞めてしまう理由について説いている。もう半分は、日本における年功序列の崩壊について淡々と説明し、このままではいけないと言う社会への問題提起。
- 就職活動の段階で、入社後の自分の仕事について明確なビジョンを抱いているが、入社した後にビジョンに沿った仕事が割り当てられることはまずない
割り当てられる仕事は、誰でもできるような,或いは会社に貢献しているのかしていないのか分からないような工数仕事ばかり - 本当の『仕事』ができるようになるのは、ある程度の役職に就くまで延々と我慢しなくちゃいけない
- 給与は、上昇曲線はある年齢になって役職につくまで延々と低い推移を続け、役職に就いたとたんに急上昇するモデルになっている
もちろん、退職時点での給与はダイレクトに退職金へ跳ね返るから、役職に就くか就かないかで生涯収入に大きな差が生まれる - 結果、ある程度の年齢になって役職に就くまでは割に合わない給料でやりがいのない仕事を我慢してやり続けなければならない
ボクなりに著者が説く年功序列のモデルを要約するとこういうことになる。
社会全体が成長傾向にある間ならば、これはこれでフェアなシステムとして機能しうる。
一旦、このレールに乗ってしまえば余程のことがない限り途中でレールから降ろされる心配はないし、若いうちは我慢して終点まで乗り切れば適当なところで適当な役職が割り当てられて収支は合う。
若者は我慢が足りない、なんてもっともらしく言って安心しているオジサンたちの頭には多分、このモデルが深く刻み付けられるんじゃないだろうか。(もっと悪い場合には、単純に自分が若いうちに苦労してきたんだからお前らも苦労しろ──みたいな捩れた論理が刻まれているかだ)
ところが、ひとたび成長が鈍化し始めると年功序列のモデルはどうしようもないくらい崩れていく。その様は、オジサンたちだって若者たちだって10年以上前から未だ現在進行形で目の当たりにしている
最後までレールに乗っていられる保証なんてどこを探したって見つからないし、そもそもレールに乗れないことも多い。
まして、レールに乗ったところで『適当なところで適当な役職』が割り当てられることだって約束されてないのだ。社員の数に比べて役職の数は圧倒的に限られていて、むやみに数を増やすことなんかできない。
ちょうど鎌倉時代の『御恩と奉公』による封建主義のスキームが崩壊したのとよく似ている。サムライは数あれど土地はなし、ってなもんである。
ゆえに、少なくとも日本では年功序列のモデルは崩壊している。幻想を捨てて現実を見なければ未来はない──もしかしたらもう既に手遅れなのかもしれない。
年功序列にも良さはあるにしても、相当なアレンジを加える必要がある。そして、それはきっと木に竹を接木したような『成果主義』による昇給システムではあり得ない。(本質的に年功序列モデルであることは何も変わっていないからだ)
もちろん『レールに乗れば安心』というシステムを捨てることにはなるが──しかし、それは既に機能不全で安心ではなく幻想なのだ。幻想にしがみつけば、ある日、突然に覚悟もなく現実と向き合わされる日がくる。
そんな風に問題提起をして、さらに重ねて年功序列モデルにおける既得権益者(つまりご老人達)は若者の未来を食いつぶして生きながらえようとしているとまで著者は言い切っている。
ところが、年功序列モデルに代わる新しいモデルの具体像は本書ではほとんど語られていない。どう変わっていけばいいか、そのスキームも方法論も示されていない。
向こう側への行き方は、手探りで探さなくちゃいけない。
年功序列モデルの崩壊に対する賛否はともかく、ボクたちは一度、事実を見つめて問題解決に向けてそれぞれ頭を絞らなくちゃいけないのである。
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