ダイレクトであることこそが最も重要・再考
鍼原神無〔はりはら・かんな〕さんから頂いて、長らく放置していた宿題をようやく。
発信者の立場でも、受け手の立場でも、必要に応じてダイレクトとパブリックとを使い分ける意識が広がるといいんじゃないかなー、と思うんですけど。でも、まー、これはアタシの考えですので。
筆者の桜井@猫丸さんが「ダイレクトであることこそが最も重要」って書いてるココロはどの辺か、出来たら知りたいと思います。文章読ませてもらって、いろいろ想像はするんですけど、筆者の思考をどこまでトレスできてるか、今ひとつ自信が持てないのが現状で、残念。
blog.桜井@猫丸屋 - ダイレクトであることこそが最も重要のコメントより引用
論旨としては(前の記事で挙げた)次の三つの特徴(誰でも発信者になれる
, いつでも、どこからでもアクセスできる
, 繋がり合うことで、巨大なデータベースになっている
)に繋がるWebの本質とはダイレクトであることなのだ、ということのつもりだった。
この論旨をより明確にして三つの特徴を言い換えると──
- 受信者と発信者とがダイレクトに繋がれるから、誰でも発信者になれる
- いつでも、どこからでもアクセスできるから人と情報がダイレクトに結びつく
- 情報と情報とがダイレクト(かつ網の目状)に繋がり合うことで、巨大なデータベースになっている
もちろん、これは(今はまだ半ば)理念の世界の話ではある。
実際のところ、検索エンジンの登場までリソウに(全体としては)ジッソウが伴わない時期が長く続いていた(繋がろうにも繋がる先が見つからなかった)し、それがいわゆるフツーの(つまりギークではない)人たちにも受け容れられ始めたのは、2000年代後半からのいわゆるWeb 2.0的な仕組み・サービスが充実してからだ。
ただ、Webの世界は確実に、ダイレクトさに向かって進化を続けている。
それを嫌う立場の人たち(無断リンク禁止! とか、はてなのブクマ論争とか)もいる。
ENOKI's blog - 共感を得る事はすべてに通じるのENOさんのコメントでミモフタモ無いというか、今までの社会で、誰もがそうあるべし、と願っていた良識という幻想が、見事に崩壊したわけです。
と言われている通りの側面もある。(話は逸れるけれど"Webのダイレクトさはミモフタモ無い"という表現は実に言い得て妙だと思う)
ただボクは:
無知で傲慢な人間や、自己中心的な人間。そういった連中は、特別の人間でもなんでもない、という事実がさらけ出された、その上で、今までのような、社会は、より良くしようと思う人々によって動かされているという幻想を保ち続けるのは難しいでしょう。
ENOKI's blog - 共感を得る事はすべてに通じるのENOさんのコメントより引用
──とは思わない。
なぜなら無知で傲慢な人間や、自己中心的な人間
と同じくらい(或いはそれ以上に)、気前よく自分の知識や経験やノウハウ, 作り上げた作品を提供できるオープンソースな人たちが、特別でもなんでもなくいる事実もまた明らかだから。
そして、そういう人たちが正しく社会をより良くしようと
していて、実際に社会を動かしつつある。
確かに今はまだ『社会を動かしている』とまではいえないけれど、そういう人たちの活動は、Webのダイレクトさによって増幅され、ボクたちの元に届きはじめている。
だから、ボクはWebにとってダイレクトであることこそが最も重要だと思うのである。
追記.
発信者の立場でも、受け手の立場でも、必要に応じてダイレクトとパブリックとを使い分ける意識が広がるといいんじゃないかなー、と思うんですけど。でも、まー、これはアタシの考えですので。
前述のような論旨なので、ボクの文脈におけるダイレクトさは、パブリックであることとほぼ同義になると思います。
そんなわけで、ダイレクトとパブリックとを使い分ける
というご意見は、ちょいと噛み合わせが悪く感じまして──おそらく相手を限定した場合にダイレクト(プライベート?), 不特定多数への公開をパブリックという使い方をされているような気もするんですが、そのあたりの解釈はどんなもんでしょうか? > 鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん
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