2007/12/25

ボクたちは匿名で議論する権利がある

ボクたちは匿名で議論する権利がある

 我々は、法律もしくは契約によって求められない限り、戸籍上に登録された名前ではない別名を使う権利を持つ。
 また、何らかの事情により戸籍上に登録された名前を秘すとき、正当な根拠(法律や契約)に拠らず、本人の意思に反して公にさらすコトはプライバシーの重大な侵害であって、許されざる行為だと認識する。

 ──と、いきなり中途半端に硬い文調で始まってしまったけれども。つまりは次の記事を見て、これはあまりにあんまりであろうと思って久々にキーボードを叩いた次第なんである。

荻上式BLOG - 小谷野敦さんに実名を晒された件/および匿名と顕名の擁護

実名にこだわっておられるらしい小谷野敦さんが、以前予告していた通り、自分のブログで私の本名に関する情報を公開している模様。その情報を受け、一部ブログや2ちゃんねる等で既に私の本名が多数書き込まれています。「匿名批判は卑怯」という小谷野さんの「考え」を私に押し付けないでほしいと再三お願いし、エントリー公開後も削除するよう依頼のメールも送りましたが*1、聞き入れてはいただけなかったようです(しかも本人は「ちょっとだけ明かすことにする」と、譲歩したつもりらしい。なんだこのりくつ)。メールの内容に間接的にであれ勝手に言及しないでくれとも言ったのですが、それも華麗にスルー。残念です。ちなみに私が書いたのは「ぐずぐず」ではなく「ぐだぐだ」です(笑)。

 まず、この小谷野敦というセンセイがやったことについては、彼が主張するところの林道義をも批判しているから、匿名批判は卑怯だという考えのもと、明かすべきだと思う(猫を償うには猫をもってせよ - 荻上チキの正体より)の正当性に関わらず、許されるべきことではない。(もし、その主張が正しいとしても、実名の公開は本人によってなされるべきだろう)
 そも小谷野センセイは、自分が、他人様の実名(に繋がる情報の断片であっても)を明かすことで、その人に生じた損害・損失をどう補償するつもりだったのだろうか? そうした点に目を瞑って、自分の主義を相手に押し付けての行為だとしたら、その方がよほど無責任で卑怯だ。

 また、Web上での実名主義に関しても、その正当性には多いに疑問がある。
 すでに小飼弾氏が、そのblog上で何度と無く議論していることでもあるけれど。

 端的に言うと、一口に匿名(あるいは別名)であると言っても、その 匿名性のレベルには幾つかあるということである。

 例えば芸能人の芸名や、著作家の筆名などは、戸籍上に登録された名前(いわゆる実名)とは言えないはずだ。だが、彼らがその名前で何らかの言動をとったとき、それが芸名なり筆名なりであることを理由に無責任だとは言わない。(Wikipediaの記載に沿って言えば、Pseudonymでdeniableな匿名である──つまり、その個人を必要十分なだけ特定できる性質の名前であるからだ)
 荻上チキさんの場合、その名前で著作も出版しているわけだから、荻上チキ名義で行った言動が無責任だというなら、世の多くの芸能人や著作家は責任のある言動を行えないということになる。(まぁ、小谷野センセイはそういう主張の持ち主なのかもしれないけど, 著作を上梓してコントラヴァーシャルな議論をするなら敢えて実名を明す──なんて言ってるくらいだし)

 Webで言えば、長らく一貫して使い続けてきたハンドルネームなどは、それに相当していいものだと思う。特にblogなりホームページなどをもっていたり、あるていど開かれたコミュニティに所属している場合には。
 少なくとも、議論なり批判を行う場合においては十分である──と、ボクは思う。言い捨てはできないし、その言動へのフィードバックは(ネガ/ポジ問わず)その名前に返ってくる。
 責任ある議論・言説・言動というなら、それで十分なんじゃないだろうか?
 特にWeb上では、その情報の伝播性の高さから、発言者の年齢・学齢・職業・境遇・家族構成に繋がる情報は一定のリスクを伴うし、実名ってのはそれらに容易に繋がりうる。(名前の珍しさにもよるけど)
 そもそも、そうした諸属性が議論を行う上で本質的に必要なものだとはとても思われない。それらは先入観や権威に頼った議論を誘導するノイズとして働くことも少なくないし。(一部、高度に専門的な分野では、資格・職歴などが最低限の信頼性を担保するために求められるかもしれないけれど)

 そんなコトを思う次第なんである。

追記

 ところで、小谷野センセイのとった"本人の明確な拒絶の意思表示を無視して、実名の公開をほのめかす"行為ってのは恐喝行為等々に該当しないんでしょうかね? 素朴なギモンなんですけど。

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