ネットにどっぷり浸かってみる
別に面倒臭いことが起きてなくても同じだ。しばらく強制的にネットと関わらない生活をしてみるといい。今まで一大事であったことが、かなりどうでも良くなる。何しろネットの諸々なんてアクセスしなきゃないのと同じわけだ。そのうちどうでも良くなる。
おごちゃんの雑文 » Blog Archive » ネットから離れてみる
引用元の記事の要旨は、ネットから強制的に切断されてしまえば、ネットでおこっている諸々なんてさしたる問題じゃなくなるよ、って指摘。あるいは、実は思ってるほどネット上での出来事は重大事じゃないんだ、ということでもある。
——って書き出そうと思ってよく読み返したら:
まぁこれはネットに限らない。面倒なもの、わずらわしいもの、心に陰を落とすようなもの、自分の人生の中心的なものが出来てしまったら、強制的にそこから離れてみるといい。そうやって、ちょっとだけ自分の諸々に対して「傍観者」になってしまうと、本当に大切なものは何かということを再発見出来ると思う。
ってなわけで、実はネットに限らず諸々全般のお話だった。がっくし。
でも、折角なので、ネットに限って話をしてみたい。
実はネットの話だと思って読んでたときも「うんうん、そうだよな」と思いつつ、違和感を拭えなかった。多分、それはボクがネット依存症だからで、真面目にある種のビョーキなんだ、って自己認識はしとくべきだなとは思う。
でも角度を変えて考えてみると、これは、まだまだネットを切り離しても生活が成り立つ現代だからこそ言えるわけで。
これからネットとリアルが、どんどん距離を縮めて行くことは間違いない。
パソコンを持ってなくたってケータイから、あるいはWiiなどのゲーム機から、あるいは最近ではデジカメからネットへシームレスにつながるなんて時代になってきている。ちょっと視点を変えれば家電の分野では、デジタル家電なんて分野も定着して、もう数年もしたら家電はネットにつながるのがアタリマエなんてコトになりそうな予感さえする。
Google の Android なんかもスマートフォンがターゲットと言いつつ、ちょっとハックしたら家電の制御くらいはできそうなプラットフォームであるし。(実際、家電業界内部から見たCES2009雑感 その1 - キャズムを超えろ!で紹介されてたけど、International CESではすでに数社のベンチャーが非モバイル端末にAndroidを載せてたそうだし)
他方、Googleは Street View や Earth でリアルの写像を文字通りの意味でネットに転写するに飽き足らず、今度は Latitude なんて機能までリリースしてリアルとネットの境界をぐんぐん突き崩し続けている。もちろん、Google の後釜を狙うベンチャーたちやライバル企業たちも同じ方向に向かって突っ走ってくコトは想像に固くない。そこまで壮大なビジョンでなくたって、ボクらが普通に使っているSocial Networking Service(mixi とか Facebook とか)だって、元々はリアルの人間関係をネットに写し取るサービスを目指していたわけだし。最近は、逆にネットで人間関係作ってからリアルにフィードバックなんて逆方向もアタリマエになってきてるけど。
そんなわけで、そう遠くない将来のうちにボクたちの生活はネットや情報機器に取り囲まれる時代がやってくる。ネットから離れようと思ったらよほどの山奥か荒野に行かなくちゃって具合に。
だから今はボクはビョーキの類かもしれないけれど、近未来にはむしろ多数派に転じてる公算は高いと見てる。ヤ、決して同病相憐れみたいからってわけじゃなく。
そこまでネットが生活圏内に深く入り込んできたときにネットの諸々なんてアクセスしなきゃないのと同じ
が成り立つかというと、難しいのかもしれない。
じゃぁボクたちはどうすればいいんだろ?
多分、ボクらはもっと積極的に、どっぷりとネットに肩まで浸かるべきなんだと思う。いろいろとトラブルに巻き込まれるだろうし、ダメージを受けてズンと沈むコトも少なくなかろう。でも、それでもネットに浸かって覚えていくべきなのだ。ネットとの距離感をコントロールする術と、上手い折り合い方を。
——それでも、とても耐えきれないほどのダメージを負いそうだったら?
そのときには生越さんのアドバイスを思い出せばいい。面倒なもの、わずらわしいもの、心に陰を落とすようなもの、自分の人生の中心的なものが出来てしまったら、強制的にそこから離れてみるといい。
ってコトバを。なに、本気になれば逃げ込める山奥やら荒野だってきっと地球上のどこかには残ってるハズだよ。
それにさ、ネットってそんな面倒だったり煩わしかったり、心に陰を落とすようなものばっかりじゃないよ。人生をハッピーにする出会いや仕掛けで一杯だもの。