2009/12/10

RE: 芸術はムダなのか。ならば私はムダを愛す。

元記事は、自らの生活の中に「ムダ」が多いコトを枕に、芸術振興関係の予算について軒並み「ムダ」扱いした事業仕分けについて一言、というお話。

これを読んで、経済状況が悪い中での「文化振興」の難しさ、というといかにももっともらしい。なんかそれらしいコトを語ったような気になるけれど。

ボクは「芸術というもの、それが最高に洗練された一流のものでなくとも、普通の暮らしの中にその気配があるだけで、豊かになったり幸せになったりする人の心の不思議」を多くの人が感じられる世の中に住みたい、と素直に思う。

日本ではなんでも「最高」を求めたがるし、「芸術」なんて言葉で括られるようなものは桐箱にノシつけて神棚でも飾るような「カシコマッタ」感じがしてしまう。

そういう目で見たら、最大多数の幸福を優先する民主主義の原則に沿って「高級品に対価を支払う経済力と教養」を持った人にしか幸福を提供しない「芸術」なるものへの投資は、経済状況の苦しい最中ではずっと後ろに下げられるだろう。それは仕方ない。

でも、ボクは「芸術」にほっと慰められるコトや、自分の所属する社会にある「芸術」にささやかな誇りを感じるコトが確かにある。もう少し枠を広げるコトが許されるならボクはボクの所属する社会の「文化」に「幸福」を感じるんだ。

だからボクは、普通の暮らしの中に「芸術の気配」のある世の中を支持する。

もし、この日本で多くの人がそこに「幸福」を感じるなら、最大多数の幸福を優先する民主主義の原則に沿って、そのための投資は「ムダ」ではないよね。

内容:

"■しかし、私がいくつかのトラブルのさなか、本当に落ち込んでダメになっていたとき、「君は歌が歌えないから、自分で自分の不幸から脱出できない。だからかわりに僕が歌ってやるか」と、夜中にえんえん2時間ぐらい、シューベルトの歌曲とイタリアオペラのアリアとか、私でも知っているような有名どころを歌いつづけてくれたことがある。(ご近所迷惑…) 私はそのとき、芸術というもの、それが最高に洗練された一流のものでなくとも、普通の暮らしの中にその気配があるだけで、豊かになったり幸せになったりする人の心の不思議をつくづく思った。"
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