「決めてあげるやさしさ」よりも「提案してくれる頼もしさ」かな @smashmedia
本質的に「選択」というのは面倒くさいものだ、ってコトよね。
従って、自分のとって大したコトじゃない, あるいは十分な情報を持っていないモノやコトに関しては人様に決
ここで厄介なのは「選択」と「意思決定」は別だってコト。
「晩御飯、何が食べたい?」
「んー、海鮮鍋」
「えー、気分じゃなーい」
って流れ。もはやネタとしても使い古されたくらい昔からある「
この中には「選択」を相手に振りながら、しかしその採否の「
これじゃ「選択」を請け負った側もオモシロクナイ。「海鮮鍋」
「なんだよ、聞かれたから答えたのに」
ってな不満がたまる。これは好もしくない。でも相手は「選択」
でもこれって、
相手は「意思決定」を求めているわけではないんだ、と。
実は求められているのは「選択」
そういうつもりで向きあえば相手の「ヤだ」は理不尽ではなく、
いかに相手のニーズを上手く汲み取るか, いかに早く相手の満足の行く選択肢を提示できるか。もちろん、
ただ、この方向で臨めば断られた時の「理不尽感」
そして、さらに話は広がって。これって「企業」
……と、この記事を読んで思った次第。
内容:"まあこの例だとそもそも丸投げして聞くほうにも問題があるんだけど、何かを決める面倒を引き受けるってのはやさしさなんですよね。 そこをわからずに「選択・決定の自由を与えるほうがやさしい」なんて固定化した考えを持ってると、余計なストレスを相手に与えることになる。"
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