2010/03/04

「記号化」は背景にあるデータベースへのポインタ, リンクとして機能する。効率のよい情報の再利用という点で、情報処理的に非常に洗練されてるよね。

大地や太陽や砂漠といった自然界そのもの、正義や悪といった概念、死後の世界に属する神々、町や都市そ のもの、動物や植物。そして更に、擬人化の範疇は王の所有物にまで至る。たとえばシェスメテト(Shesmetet) と呼ばれる女神などがそうだ。

これら擬人化の範囲の広さは、現代日本における擬人化、商品のキャラクター化の幅広さに勝るとも劣らない。
ある意味、五千年前に日本人の先を走った人々とも言えよう。
古代エジ プトと擬人化の最先端  - 現在位置を確認します。

エジプト神話の神々は現代の「萌えキャラ」に通じるというお話。

特にその図像に関して:

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*全部分かったら凄い*
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*全部別キャラらしいですよ…*

このように「エジプトの神々の図像」(頭の上に載せてる標章がないと誰なのか判らない)と「ハンコ絵」(髪型と色の違いがない と誰なのか判らない)を並べて見せて、その類似性を指摘している。

さらにはもう一歩踏み込み、バ ステト女神を指してネコミミ萌えに対応する概念の芽生えとまで言及している。大変にユカイな考察であった。

さておき。ボクはこの両者の類似性は「記号化」(シンボル化)によるものだと考えている。

ア ヌビス神のシンボル(ジャッカル)を見れば、それが置かれている文脈とアヌビス神の機能や成り立ち, 物語などを突き合わせて「意味」を見出すコトができる。同様に現代日本のオタクである我々はカンフー少女を見れば、その登場した文脈と彼女に付帯された属 性や過去に参照した物語に登場した「カンフー少女」たちとを突き合わせて「意味」を見いだすコトができる。

「絵」から「記号」への転換によって、「図像」は、その背景にあるデータベースへのポインタ, リンクとして機能する。効率のよい情報の再利用という点で、情報処理的には両者とも非常に洗練されているじゃないか。

ただし、これは「記号」の背景にあるデータベースが共有されている場合に限り、正しく機能する。例えば中国の山奥で「ジャッカル」のシンボルを見せ てもアヌビス神が想起されるわけでなく、ポリネシアの海岸で「武道着を着た少女」を見せても「萌え」が想起されるわけでもない。

この点は注意が必要であるとともに、創作者的には極めて「美味しい」特性でもある。

それはつまり、意図的に「データベース」を差し替える, あるいは混在させるコトで全く異なった意味を付加できる、という特性だ。元来の「意味」と 並べてギャップが大きければ大きいほど、これは面白いよね。例えば前述の「バステト神=ネコミミ萌え」の図式の他にも:

  • 日本のスサノオの「ヒゲもツメも伸ばしたまま泣きわめき仕事もしない」(=ケガレや喪を表現している)様子から「ニート」を読み取る
  • 北欧のフレイアが「美しく性的に奔放」(=豊穣に通じる多産の表現)を見て「クーガー」(年下狙いの肉食系女 性を揶揄したコトバ)を読み取る

こんなのがある。

さらに一歩踏み込んで「記号」の一部を意図的に書き換えたり付け足したり、なんてのもあるよね。例えば:

  • 「日本一の桃太郎」を女の子にしてみる
  • 「九郎判官義経」を引っ込み思案にしてみる
などなど。

そんなことを朝から思った次第なんである。どっとはらい。

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